矯正歯科の小さな願い

一二歳十か月のK君は、マドリッドから転医して来ました。反対の歯並びの治療を一年前に始めたそうです。発育期に最終的な歯の並べ替えを終わるのは禁物ですから、仮終了にしました。
一三歳七か月の仮終了のときにはいい状態であったかみ合わせは、後と反対の度合いを増しました。一年後、二年一七歳で成長の終了を確認してから、最終的な治療を行いました。
誤った時期での治療は、再治療を困難にしてしまいます。あなたの場合は、送っていただいた写真で見るかぎり、反対の程度が軽く、再治療でよい結果が得られそうです。
せっかく何年もかかって治した歯並びが、また元に戻ったのでは、あの頃の苦労はなんだったのかと切ない思いをしておられることでしょう。動かし終わった歯はフリーになると、元の状態に戻ろうとします。
すっかり元の状態にまで戻るわけではありませんが、あちらこちらにすき聞ができたり、凸凹になったりします。歯並びが治るには、歯の動きに伴う周囲の歯槽骨の改造が必要ですが、これが落ちつくのは三、四か月と割合に短期間です。
新しい歯並びに替わることで、歯槽骨以外にも歯根膜や舌、唇などの環境も変わり、この順応にはもっと長い期間を要します。したがって、この順応期間は、動かした歯をしっかりとホールドするために、リテ−ナ−を着けていなければなりません。

写真は上顎と下顎の代表的なリテ−ナ−です。あなたも、同じような装置を渡されたのではないでしょうか。
上顎は着脱が可能で、外見的には金属線が一本見えるだけです。下顎は、糸切り歯から糸切り歯まで、一本の金属線が歯の裏側に接着されています標準的な使用法は、はじめの一年は終日、次の一、二年は就寝時だけで、通算して二、三年です。
金属線からやっと解放されたのに、リテ−ナ−を使用するのは大きな負担ですが、これに耐えなければ、それまでの数年間の努力が水泡に帰してしまいます。あなたのほかにも、あと戻りの相談を受けていますが、そのほとんどはリテーナーの使用が不満足なものでした。
広島大学での調査でも、半数以上で使用が不十分であったことが報告されています。担当医としては、保定がなぜ必要なのか、保定中にどんな変化が起きているのか、期間はどれくらいなのかなど、必要最小限の説明はくどいほどしておかなければならないと思っています。
並べ替えた歯並びが安定していてこそ矯正治療であって、良心的な矯正歯科医はその責任を持ちます。この場合、保定についての説明がまったくなかったとすれば、責任は100パーセント歯科医にあるといえそうです。
何の説明もなしに、リテ−ナ−を渡されたとは思えません。なんらかの説明があったのではないでしょうか。
説明があったのに、聞き流してしまったということはないでしょうか。また、疑問があれば、積極的に先生におたずねになることはできなかったのでしょうか。
私の印象としては、あなたにも、少しばかり責任があるような気がしますが、いかがでしょうか。で、小臼歯を四本抜いて凸凹の歯並びを治したそうですリテ−ナ−は半年ほど使用しただけで、その後、結婚や出産で取りまぎれて、数年経ったときには、上下のあちらこちらにすき間ができていたといいます。
あと戻りした闘を元に戻すには、もう一度装置を着けなければなりません。せっかく真っ白なきれいな歯並びになったばかりの患者さんに、再び穣雑な装置を着けるのは、患者さんだけでなく、歯科医にとっても勇気のいることなのです。
あなたに再治療の意志が強ければ、まず治療を受けられた歯科医に相談されることです。再治療の際の費用負担については、話し合いが必要でしょう。

また口凹になってきた小さい頃から歯並びが悪く、小学五年生のときに二本の八重歯の治療を始め、中学三年で終了しました。そのときは一応きれいに並んだように思ったのですが、一五年経った現在、また、下の前歯が白凹になってしまいました。
あなたの歯並びの乱れは、治療で動かされた歯が元の状態に戻ったあと戻りではなさそうです。矯正治療でそろった歯並びは一生変わらないと、錯覚している人がいます。
リテ−ナ−を外したときから、歯は束縛から解放され、自由になり、矯正治療をしなかった人と同じ環境に置かれることになります。歯は前傾して並んでいて、後方の歯で押され、かむ力で押されて、その結果、長い年月の聞には、凸凹や前傾の度合いを増してきます。
年齢につれて前歯の凸凹が生じるのはこのためです。一八歳でいいかみ合わせであったとしても、三十歳、四十歳のかみ合わせを保証するものではありません。
ワシントン大学のライデル教授は、治療後のあと戻り変化研究の第一人者でした。一九七五年、私は彼の研究室に一0か月滞在していましたが、たくさんの治療前・後、十数年後の歯型とレントゲン写真を調べさせていただきました。
治療が終わったときにきれいに並んでいた下の前歯には、どの例で凸凹が生じていました。ひと言に凸凹といっても、治療前後を比べてみると、同じ歯が同じ状態にねじれ、はみ出しているとはかぎりませんでした。
治療前には、まったく凸凹のなかった例さえありました。これらは、治療が終わったあとで凸凹があったからといって、必ずしもあと戻りではないという証拠です。

年齢につれて生じた変化と見るべきです。加齢変化は矯正治療には直接関係ありませんから、治療をしなかった人であっても避けられません。
どんなに肌の手入れをしても、年齢とともに色つやが失せ、シワが増えてくるのと同じです。あなたの歯並びの乱れも、治療で動かされた歯が元の状態に戻ったあと戻りではなさそうです。
治療後、十年以上の年月が経過していますから、たぶん加齢変化でしょう。加齢変化は生きている証拠のようなものです。
どうしても気になるようであれば、再治療が必要になりますが、再治療しても、一生、保定装置を使い続けるか、歯を固定しておかないかぎり、ある程度の加齢変化は避けられませんから、将来、同じ問題が生じてきます。しんぼう程度がひどくないのであれば、現状で辛抱されるのもひとつの方法ではないでしようか。
先生が信じられない大学四年の娘は、小学四年のときから乱杭歯の治療を受けています。治療の状態をくわしく教えてほしいとお願いしても、先生はいつも忙しく、立ち話しかできません。
納得のいく説明が聞けす、もどかしい思いをしているのですが。信頼のないところに治療の成功は望めません治療を受けた方たちからの相談で、二番目に多かったのが、歯科医に対する不信でした。

ご相談は、私自身が不満を訴えられているようで、他人事とは思えません。実際に、私の患者が外で不満を訴えているかもしれないし、口に出して言わなくても、心に不満を持っているかもしれません。
出歯を治してもらったはずなのに、何年経っても治らず、結果として、「上の前歯を差し歯にするのはどうか」と言われたという、とんでもない相談さえありました。これは極端な例ですが、なぜ虫歯でない歯を抜かなければならないのか、なぜ何年にもわたる長い期間がかかるのかなどについて、納得できる説明がないなど、もう少しインフォームド・コンセントがあれば、患者さんの訴えに親身に対応してくれれば、大半のトラブルは回避できたのにという印象がしました。
まったくなくすることは困難だとしても、大幅に減少できたのは確かです。

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